痛読した。

「黒い迷宮」リチャード・ロイド・バリー 早川書房

 きのう1日をこの本に捧げた。

 痛読とは、「読み始めたらページをめくる手が止まらなくなり、気がついたら朝だった」という読書好きが愛してやまない時間のスリップ現象のことではない。それは「このまま読み続ければ日の出とともに眠り、目が覚めたら"アァまた午前中を無駄にしちまった"というほのかな後悔を予期しながらそれでも読んでしまう」という痛い心理状態に陥りながら読書することを言う。私の造語である。

 内容は2000年に日本で起きた、英国人ルーシー・ブラックマンさん失踪事件の詳細なルポ。ある日、ルーシーさんは勤め先である六本木のとあるクラブから自宅に戻らなかった。彼女はどこへ消えたのか。家族や篤志家の奮闘むなしく事件は、最悪の結末を迎える。事件発生、容疑者逮捕、そして遺体発見から判決という時間の流れの中で、家族とその友人、警察組織、容疑者およびその周辺人物の感情や行動が丹念に描かれる。そして彼らは程度の差こそあれ、どこか壊れている。何がどのように壊れているかは、本書を読めがすぐわかる。

 本書では、例えば文庫Xで見られるような、著者の執念やプライドが発露したかのようなアツい文がない。感情的な意気込みを綴ることで読み手を刺すような仕掛けが周到に排除されているようだ。その整然とした文章に、読み手は事件から一歩引いたところから事件全体を俯瞰させられているような感覚を抱く。そして、人間や組織が生来的に持つおぞましく腐った闇の部分や不可解で不条理な部分から目を背けることが許されないのである。「なぜ?」「一体どんな訳があって?」と読み手は思うが、謎は謎のまま陳列されているのみで、著者の推測は最小限にとどまっている。(英国人の作風はそんな特徴があるようだが、それはまた別途)

 18年前のこの事件は、私は何も覚えていない。だが事件が提示する人間の不可解性は多少は理解できているかもしれない。