八ヶ岳(権現岳-赤岳-美濃戸口)

 この水曜日、八ヶ岳ハイキングに出かけた。

 いまの時期、高峰の山に登ることはほとんどない。3年前の阿弥陀岳、あるいは千ノ倉岳ぐらいか。その年は、積雪量が少ない年で、残雪に苦しめられた記憶はない。今年はどうか。ネットを徘徊して情報を集めていると、先週日曜日に八ヶ岳をハイキングした人のブログで「ハイキング可能」とある。なるほどね。こりゃ予定もないし、この日の天気予報は快晴だ。夏の予定を実現するためには、そろそろ負荷をかけていきたい。ザックに荷物をどかどかとぶちこみ、東京駅始発のかいじに乗った。

 小淵沢駅、待合室でSTB(ステーションビバーク)。2時半起床、3時出発で登山口まで歩くのだ。国道沿いのコンビニで朝飯を買って、もりもり食べた。行動食も買い込んで、ひたすら歩く。いい加減、車道歩きに飽きたころ、一台の車がすっと前方で停車した。これは、ひょっとして… 「登山口まで乗っていきますか?」と男性。実は密かに期待していた幸運。深々とお辞儀をしたのち、遠慮なく車に乗り込んだ。後部座席に入ってみると、ロープが張られ、シャツ・ウェア類が干してある。洗濯バサミもちらほら。男性は、大阪からやってきたとのこと。おしゃべりしていると、あっというまに観音平に到着した。ちなみに、不審者の疑いをかけられるのが嫌で、ソロの女性に声をかけない主義だとのこと。お礼を言って、おろしてもらい、登山届を書いて提出。おじさんと別れ、権現岳の登山口へと歩いて行った。

 出だしでいきなりルートミス。編笠山へ向かうコースを歩いていた。正規ルートに戻り、樹林の中をトラーバースする。堰堤のある河原を渡ると分岐がある。沢筋の踏み跡を辿っていった。やがて赤布が見えなくなり、またルートミスしたことに気づき呆れた。分岐まで引き返すのは面倒だ。右手の尾根に予定していたルートがある。斜面は若干急だが、登れないこともなさそうだ。疎林で見通しもいい。少し考え、尾根横から登り上げてルートに復帰することにした。結局、30分ほどかかってルートの復帰した。

 見晴らしいのいいポイントで写真を撮りながら、登っていく。

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 森林限界を超えると、風が吹き抜ける。かなり強い。権現岳の岩陰で休んでいると、眼下に見える小屋からのルートを、人が進んでいる。目を凝らし、姿を確認してみると、どうやらさっきのおじさんらしい。オレンジ色のザックはよく目立っていた。

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 展望は雄大で、阿弥陀岳、中岳、赤岳の3兄弟の姿も勇ましい。赤岳のその屹立は、勃起したペニスがパンツを押し上げているようすら見える。

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 権現岳キレット小屋、赤岳と続く稜線は、一度やってみたかったコース。休憩を終え、いよいよ始まる未知の道。権現岳を過ぎると間もなくハシゴが始まるぞ。20mはあるだろう。下を見ないで、一挙手一投足を慎重に。高度を下げていくと残雪が現れた。樹林帯の中は、残雪がびっしりと詰まっていた。日差しも強く、気温も高く、雪は緩んで、もうズボりまくった。雪を踏む脚が太ももまで沈む。チェーンスパイクが外れて、探しに引き返したりもした。

 たっぷりと時間をかけて、キレット小屋到着。樹林が囲む、落ち着いた雰囲気のの良い場所だ。

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 ベンチに座り赤岳を見る。近くで見るとそれはまさしく奇巌城。ルートなんか、本当にあるんかい。右肩に続く大天狗、小天狗の岩塔も奇観だ。登攀技術があればぜひ登りたい。

 30分ほど休憩し、今日の核心(ハイキングだが)へ。赤岳まで続く岩場をひた登る。顔を上げマーキングを確認しつつ、進んでいく。ここは、勃起したペニスを支柱にした岩の城。景観が素晴らしいこと以外に喜びはない。なんて、宗教じみた行為だろう。さすがは古来からの修験場。かなり危ない梯子をこなし、しばらく歩くと山頂だ。

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    絶景を楽しんでいると、ザサァーと空気を切り裂く音が聞こえて来た。周りを見やると、黒い小さな鳥がたくさん滑空している。ツバメだ。動きが早く、カメラに収められないぞ。こんな高度を飛んでいるなんて、知らなかった。しばらく休んでいると、完全な冬山装備の登山者が到着。バラクラバピッケル、雪山登山靴… やはり5月の八ヶ岳なら、冬山装備は常識か。用心のためか、情弱か。

 山頂を後にして、下山に使う尾根の分岐へと向かった。稜線上を横岳というピークを目指す。赤岳から標高を下げ、そしてまた登る必要がある。だが横岳の直前に、急斜面に張り付く残雪が見えている。歩きながら「あれやばくね」と思っていて、いざ目の前にしてみても、落ちればまず助からないことは明らかだ。見上げるような雪の斜面。これを横から取り付いて、10m登ってルートに出る必要があるのだが、残雪は、取り付きの場所よりはるか下まで続いていて、斜面の途中にハイマツなど滑落を止めるものはない。

 10回に9回は登れるだろう。しかし1回の失敗が最初に来ない道理はない。もはやこれまで。少し引き返し、地蔵尾根から行者小屋、美濃戸口へとエスケープしよう。

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 未練がましく、恨めしく、斜面の残雪を見ていると、上からやってくる人がいた。ベテラン風だ。ヘルメットもかぶっている。その男性は、斜面にためらう素振りもなく、ストックを出し、雪面に体を向けてクライムダウンを始めた。そして5,6歩降りたその直後、緩んだ雪に脚がはまりずるずると滑った。だがちょうど、岩の斜面のすぐ側だった。滑る体を停止させ、岩場に移り器用に降りてきた。滑落を計算に入れ、あえて岩場の近くを選びクライムダウンしたのだろうか。すれ違いざま挨拶をしたが、なんとなく、声に元気がないと感じたのは気のせいか。

 岩場を通れば登れるかも。そういう声が頭の中で聞こえたが、単独で危険なことはしないに限る。潔く、引き返すことにした。地蔵尾根からエスケープする。

 地蔵尾根にも危ない箇所があったらどうしよう。そんな心配があった。地蔵尾根は学生時代、行者小屋から登ったときに使った尾根だ。当然ながら記憶は薄れ、道の状況は覚えていない。岩陵の急な登りという印象だ。日当たりもよく融雪は進んでいるはずだから、さっきの雪壁のような危ない箇所はないだろう。本当に危ないと思ったら即、引き返そう。そして赤岳展望荘に泊まろう。

 森林限界のうえでは、想像通り悪い状態の場所はなかった。だが、樹林帯に入るとなかなか大変だった。まだまだ雪が残っていて、踏み抜いたり滑ったりして降りていく。もうそれなりの時間帯だし、気温は高い。ますます雪は緩んでいる。雪面の上に転べば、下まで滑って落ちてしまう。そんな箇所も何度かあった。先行者が足スキーをしたのだろう、雪面にスーッと引かれた跡も、残っていた。真似をして自分もやってみるのだが、これがなかなかうまくはいかない。積雪期も残雪期も、まだまだ経験が足りない。

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 樹林帯を抜け、行者小屋の広場で大休止。いつもなら、登山者で賑わう八ヶ岳のベース基地になる場所であるが、平日のこの時間に人影はない。快晴の空のもと贅沢な景色をひとりで楽しんだ。さあ、ここからが終わりの始まりだ。

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 あいかわらず、雪を踏みぬきながら降りていく。途中、雪解け水の清流が気持ち良くて小休止をしたほかは、一気に美濃戸口へと降りていった。

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 最後、バス停直前の沢にかかる橋を渡ればこの山行もいよいよ終わりだ。観音平から出発して約12時間強。やっとバス停に到着した。この間、出会った人はたったの3人。八ヶ岳というロケーションではありえない人数の少なさであった。

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 この山行は苦しい苦しい、続きがある。美濃戸口から駅までの15kmほどを歩く羽目になったのだ。

 平日に美濃戸口では公共交通機関が利用できないことは知っていた。だから、エスケープに美濃戸口を設定したは良いが、その先どうやって最寄りの駅まで行くかは出たとこ勝負といった感じだった。タクシーを呼ぶ手もあっただろう。だが無駄に節約志向の私には、その選択肢を消すことに躊躇はなかった。ここからしばらく歩けば、温泉施設「もみの湯」だ。発着しているバスもあるだろう。スマホで調べるのも面倒で、そんな風に適当な当たりをつけて、歩くことにした。こういった情報収集を、怠るところが悪い癖だ。

 父親に無事に下山した旨報告をして、しばらく休んでいざ林道へ。西日が別荘地を照らすなか、トコトコと歩いていく。日の傾く時間帯の樹林は、こんなにも世界は綺麗でいいのか、と呟きたくなるほど美しい。自然はこんなにも色彩に満ちていたのか。別荘のメンテナンスはさぞかし大変だろう。女と別荘はもつべからず。そんなことをとりとめもなく考えながら歩き、「もみの湯」へ。

 バス停に書いてある時刻表を見ると、バスはとっくに終わっていた。タクシーを呼ぶ、ヒッチハイクをする、などもう歩かない方法も考えはしたが、ここまできたら最後まで歩いてみたい。思えば、小淵沢駅から(途中で車に拾ってもらいはしたが)いままで、ずっと歩いている。このまま駅まで徒歩で結べば、それはそれで達成感はかなりのものになるはずだ。馬鹿なことだと思いはしたが、そういうことをやるために山に来ている。ドMな達成欲と功名心は、寝不足のうえハイキングで疲弊した頭脳にすんなりとプログラムされ、徒歩マシーンと化した私は、ガツガツと林道をくだり始めたのであった。

 下界の明かりを見下ろす傾斜地に、田んぼが水を張っている。その脇の林道をただひたむきに歩く。夕闇はすでにあたりを支配して、西の空に残るほんのわずかな白い明るさが、田んぼにぼんやり映っていた。見慣れぬ風景にうっとりしながら歩く。スマホGPSで、たまに経路を調べるが、目的のすずらんのさと駅はまだまだ先だ。もはや、頭のエネルギーも枯渇していたのだろう、東京へ帰る終電車に間に合わないかもしれない、と気付いてあわててタクシー会社に電話をいれたのは、かなり時間が経ったあとになってのことだった。

 場所が営業所から離れているためタクシーを呼んで駅まで向かったとしても、終電にはもう間に合わない。タクシー会社とのやりとりで、そのことを悟った私は腹を決め、駅まで歩くことにした。今日はもう帰れない。泊まる場所は、いくつか候補が頭に浮かんだが、小淵沢駅の待合室を再び利用することにした。

 街灯もまばらな、くらい国道を歩きながら、ひとり反省モードに入る。大学時代、山行の帰りに”反省会”をして、その日の振り返りをしていたものだ。その思考回路が蘇ったようだ。道はやがて、野菜畑を突っ切る道になる。ここがまた暗く長くて、気が滅入りそうになった。やっとのことでコンビニを発見し、その日の夕食を買い込む。ここを逃したらもうコンビニは無いと思い込んでいた。

 徒歩行も後半戦、酒と弁当とつまみの入ったビニール袋を下げながら、暗い国道を降りていく。両側に木々が迫ってきていて、その間から星が瞬いているのが見えた。最後は交通量の多い国道に合流し、1kmほど駅に歩くだけ。この合流点にコンビニやラーメン屋があった。スマホでちゃんと調べれば、そのくらいはわかるはずなのだが、あえて混迷に突っ込むべし、という変な潜在意識が根付いているのか、情報収集を怠る癖が抜けていない。

 すずらんの里駅についてたのは22時を過ぎていた。約20時間歩き続けて、やっとドMな達成欲と功名心は満たされた。

  駅の階段を上ると、すぐに列車がやってきた。あわてて飛び乗り、ほっと一息つく。

 小淵沢駅の待合室で銀マットをひいて荷物を整理したあと、弁当を食べた。あっというまに平らげた。酒を飲む元気はない。体を横たえようとすると、母娘が会話しているような幻聴が聞こえてくる。ここで寝ることを肯定しているような… ツェルトにくるまろうとすると「ほら、それ得意でしょ」みたいに… 疲労度はMAXなのだろう。

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 早朝、起きるとまたしても天気がいい。駅の展望台から甲斐駒ケ岳の写真をとり、始発の高尾駅ゆきへと乗り込んだ。

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