昔日の中学受験

今週のお題「受験」


もう20年以上も昔のこと。私は中学受験を経験した。当時のことをとりとめもなく思い出して書いてみた。本当にとりとめもなく書いただけですからね!


第1志望は兄の通っていた学校。2/1の試験当日は、面接があったため、キチンとした格好で試験に望んだ。硬い革靴とスラックスを履き、ワイシャツを着て母と電車に乗り込む。

お母様方には分からないかもしれないが、これが子供には結構恥ずかしいのだ。特に泥まみれになるまで外で遊ぶことが好きな私のような子供は、ビシッと襟を正して澄まし顔で街を歩いているなんてことを頭のどこかで自分に許していない。あー、はやく脱ぎ捨てて自由になりてぇ。もっとラフにいこうぜ。当時は、そんな風に感じていたと思うし、そういう子供は結構いるのだと思う。

駅から数分歩き、校門に近づいた。校門の前の通りは、受験生を激励に来た色々な塾の先生方がズラリと並んでいた。ここで握手や励ましの言葉を頂くことになっていた。

1月に滑り止めを受けているので、この景観自体は驚きはしなかったが、予想と違ってあまり馴染みのない社会の先生が私を見つけてくれて、声を掛けてくれたのは意外だった。

塾の主力級で、会話も沢山した先生方は、より偏差値の高い学校へ激励に行っていたのだろう。私の成績だってあまり知らないだろうに、「受かりますよ!」と熱いエールで励ましてくれるその先生には、ちゃんと感謝しないといけませんね。ありがとうございます。

校門で母と先生と別れ、教室に向かった。本試験にあたり、緊張していたかと問われればしていたような気もするし、していなかったような気もする。中学受験なんてそんなもんだ。

塾に通うのだって楽しい友達とバカな会話で盛り上がることのプライオリティが成績向上と同等であったりした。まあ、先生も怖いし偏差値あげることにも必死だったことは確かだが。


中学受験は、本人よりも親が必死だ。我が子の可能性を信じ愛情の限りを尽くす。サボっていると分かれば、愛の鞭だか掃除機のホースだかを振るう。

毎朝ココアを作り、塾のある日は弁当を作り、休日は車で送り迎え。平日は公共交通機関を乗り継いで夜の12時くらいに帰ってくるわが子が心配だ。他にもパートで働くお母様方は昼間も人間関係に疲れ、帰ったら帰ったで晩飯作り。そして酔って帰ったお父様のお相手。お父様は、なかなか子供と話せず、商談中も成績が気になって仕方がない。

ああ、まさに戦争。


私は、テストから面接まで手応えを感じることは出来なかった。結果、落ちた。

合格発表は、ひとりで見に行った。私の番号はなかった。一度見てなければ、もはやあるわけは無いのだが、しつこい私は何度も探した。ない。ない。…ない。

諦めて校門を出た私を、強烈な虚無感が襲う。あれだけ心血注いで、頑張ってこれか。第一志望だぞ。いや、確かに偏差値的に届かないことはまあ、分かってはいたけど…なんだかなぁ。

より難易度があがる2次試験を受けるつもりはなかったので、この道を歩くのは今日が最後。二度と校門をくぐることはないだろうと思った。


後で聞いた話だが2次試験の際、とある先生が私に特別な配慮を図ってくれようとしたらしく、試験監督をしていた兄に私の受験番号を教えろと言ったらしい。2次は受けていない旨を言うと、拍子抜けしたとのこと。


家に帰ると私は不覚にも泣いた。母が用意してくれていたマックのハンバーガーとポテトを頬張りながらボロボロ泣いた。自覚はなかったかもしれないが、実は精一杯やっていたのだろう。何かに本気でチャレンジして失敗し、本当に悔しくて泣いたのはこれが人生で初だ。これまでの人生でも悔しい場面は何度もあったが、ここまで熱く涙を流したことは無いと思う。

「泣いている人は、ひとりじゃないのよ!」

と、母は気丈に励ましてくれた。そうだよなぁ、俺だけじゃないよなぁ…


こんな中学受験を経て、私は第二志望の中学に入った。都内のなんだか垢抜けない学校だが、まあまあ楽しい中学高校生活を送ることになった。


今になって中学受験の喧騒は一体なんだったのかと思う。

大学に入れば田舎からやってきた本当に頭の良い奴や都会の世渡り上手な奴がいて、受験戦争を冷ややかな目で見ていたとう話しも聞いた。就職してからは、学歴に左右されず、ある分野のエキスパートが仕事で重宝されている実態も目の当たりにした。

世の中に価値を生み出す段階に達して、中学受験が果たす役割を多分に感じてやまない人は少数派なんじゃないだろうか。

子供の頃から不自由な環境で揉みくちゃにされている人の方が大人になってからの伸びしろは多いのではないだろうか…


そんなわたしは現在、塾講師をしている。受験生を教えることはない。でも、20年前と今とで中学受験における色々な考え方は根本的に全く変わっていないと思う。

特に少子化でなくなったかと思っていた多クラス制の塾も健在だ。10以上あるクラスを、毎月テストの点数で行き来する。実際に上下するのは上ひとつ、下ひとつといった範囲だと思うが、クラス内でも点数順で座席が決まるのだ。当時からエグいなーという感じがしていたヤツだ。

20年前と変わらないシステム。正常なんだろうか…


中学受験が旧いシステムへの入り口に立つことではなく、受験生自身が「挑戦すること」の悲喜こもごもな多様な側面を感じる一助となることを願っています。